Misakiの曼荼羅ブログ

人間と自然、日本と世界、地球と地域、女と男などの臨界点を見据えながら、日々の出来事を綴るブログ

南方熊楠の偶然性と必然性

 美咲です。今日も南方熊楠の優れた一面について話したいと思います。

 南方熊楠(1867-1941)は、日本における民俗学の草分けであり、微生物学者であり、森林保護などのエコロジー運動の先駆けでもあるという面白い組み合わせの経歴の持ち主でした。さて、なぜそんな男に人は、そしてわたしも心惹かれるのか。彼の創造性、独創性、自由人としての生き方なのか。今日は今では常識となっている必然性に対する”偶然性”という南方の考え方について、そのさわりだけ話します。

誤解され続けた、”埋もれた日本の天才”

 長い間無視されるか、誤解され続けてこられた南方熊楠。熊楠ブームがあったときでも、奇人・変人という見方が強かったわけで、比較的はやく南方に目をつけた桑原武夫や益田勝実でさえ、南方は「博覧強記」であるけれど、「理論がない」と嘆いていたそうです。ようやく1983年、英国民俗学会の会長就任講演でカーメン・ブラッカーは、南方熊楠のことを「埋もれた日本の天才」と呼びました。*1 。日本で南方熊楠の研究が行わえるようになったのは、1990年代位からでしょうか。鶴見和子は、南方熊楠には「理論があったと考える」と著書「南方熊楠・萃点の思想」で述べています。その理由は二つありました。

1.第一に「南方曼荼羅」とよぶ熊楠の方法論

2.第二に日本ではじめてはっきりとエコロジーの立場になって、自然保全運動を展開したこと。*2

”偶然性”を科学方法論に欠くことのできない要因と、かなり早く熊楠は認識した

 ちょっと話がずれるようですが、作家で編集者の松岡正剛さんが、*3”シンクロ二シティは、とっくに常識だと思うんです。そのために世界ができているのに、それをいちいち言うのは、その人がいかに珍品をポイントゲットしたかを聞かされているようで、おもしろくない”と述べておられます。まぁ、セイゴオ先生だから、こうもハッキリ言えるのですが、今の時代必然性に対する偶然性の考え方は常識となっています。ただ、熊楠の時代はそうではなかったのです。19世紀末にかけては、ニュートン力学に基づいた必然性理論が科学のさまざまな分野で幅をきかせていました。”偶然性”が注目され始めたのは、20世紀の相対性理論量子力学以降のことです。

 南方熊楠がロンドンで偶然性について気づき始めたのが1893年のことで、それを図に表したのが1903年でした。偶然性の問題が鮮明になってきたのは、アインシュタインの光量子説(1905年)、デイラック、ボーア、ノイマン、ウィグナー等の量子力学の形成(1925-30年代)ですから*4必然性に対する偶然性の考え方について、熊楠はかなり早く気づいていたわけです。

 それはなぜでしょう。どうやら南方熊楠の育ちに関係あるようです。彼は両親によって、真言大日如来の信仰を、和歌山市の町の旦那衆からは心学の訓えを物語のカタチで深く植えつけられていたといいます。*5

 ロンドンでの読書と論争で得た近代西欧科学の方法論と、幼児のころから身につけていた大乗仏教の思想とを熊楠は自分の中で格闘させたのです。19世紀の西欧近代科学の方法論は因果律の探求だったと言います。ものごとの原因と結果との間の一対一の必然的な関係を発見し、定式化するということです。けれど、仏教ではこれに対して”因縁”を説きます。”因”は因果律であって、”必然性”です。”縁”は”偶然性”の探求です。

 南方熊楠は、自然現象においても、社会現象においても、すべてが必然法則で動いているわけではないと考えました。必然と偶然との複雑なからみあいによって、自然の事物も、人間関係も、そして人間の外界の事物に対する認識のしかたも変化しているのだ、と。そうだとすると、仏教の論理のほうが、近代科学よりも事象をとらえるのにすぐれているといえないかと南方熊楠は考えたのです。彼は、大乗仏教曼荼羅を、必然と偶然とを同時にとらえる方法論のモデルとして読み解いていきました。

  南方熊楠は、論文や本というカタチでその理論を発表しなかったのですが、当時の仏教界きっての学僧、土宜法竜あて書簡のなかで上記2点に関して10年にかけてこの考えを熟成していきました。

 ちなみに下の図が「南方曼荼羅」です。熊楠自体は土宜法竜には「小生の曼荼羅」と称していたらしいのですが、哲学者の中村元が「南方曼荼羅」と名づけ、鶴見和子がそれを広めたと知られています。*6

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 「南方曼荼羅」の図 写真引用:

【特集】時代が彼にあこがれる 知の巨人・南方熊楠。

 

ユングと南方の共通点

 さて、南方曼荼羅についてはいずれゆっくりお話するとして、ユング南方熊楠の共通点について今日は最後に余談としてお話したいと思います。

 カール・グスタフユングってご存知ですよね。そうです。元型やコンプレックスといった概念を発案し、箱庭療法や分析心理学の創始者という業績を残した20世紀の偉人です。マンダラ、あるいはシンクロにシティといった概念を通じて大勢のファンもいる精神分析家。鶴見和子は、深層心理にかんする南方の洞察は、ユングのマンダラ論を想起させると言っています。

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写真引用サイト:名言・格言『カール・グスタフ・ユングさんの気になる言葉+英語』一覧リスト | iso.labo

  ユングがマンダラを描き始めたのは1928年で、「マンダラ・シンボリズム」が出版されたのは1950年ですから、南方熊楠はそれより40年余りさきがけているのですが。

 鶴見和子は二人の共通点についてこう述べておられます。*7

南方は一人一人の心は一つのものではなく複数のこころからなるものであるという。何か変わった考えが浮かんだり、不思議なことを夢見たりすると、無意識の自我(アラヤ)が表面的な日常の意識の表層下で活性化されるのである。南方とカール・ユングの間にはおもしろい共通点がある。それは自我の多様性と知的発見への方法としての無意識の機能に関しての議論や、曼荼羅への関心、偶然性を強調する点である。もっとも、ユングは偶然性を共時性の観点で解釈しているのだが(ユングと南方の類似性と相違点に関しては河合隼雄教授に負うている)*8

 

 二人の偉人の共通点。なかなか面白いですね。でも、熊楠の方が先だったのよ。

 

 では、今日はここまでとします。では、またね〜♪

*1:1「南方熊楠・萃点の思想」鶴見和子著P122)

*2:南方熊楠・萃点の思想」鶴見和子著P114)

 熊楠は19世紀末のヴィクトリア女王朝最後の自然科学および人文・社会科学の輝かしい発展期にイギリスの『ネイチャー』誌や『ノーツ・エンド・クィアリーズ』誌で異論との対決をとおして、多様な事物や考えの間の新奇な結びつきを発見する創造をしたのです。((3南方熊楠・萃点の思想」鶴見和子著P34

*3:4「20世紀の忘れもの」www.kirara-s.co.jp

*4:5、南方熊楠・萃点の思想」鶴見和子著P116

*5:6南方熊楠・萃点の思想」鶴見和子著P115

*6:7南方マンダラ

*7:8南方熊楠・萃点の思想」鶴見和子著P63,135

*8:10「自然とのつきあい」「河合隼雄対談集ー科学の新しい方法論を探る」三田出版 p52-82 河合隼雄鶴見和子