Misakiの曼荼羅ブログ

人間と自然、日本と世界、地球と地域、女と男などの臨界点を見据えながら、日々の出来事を綴るブログ

カラヴァッジョの創造性 その光と闇

こんにちは、美咲です。

先日、カラヴァッジョの展覧会に行ってきましたので、今日は南方熊楠の話はちょっとお休みして、イタリアが誇る大画家、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョについてちょっと話したいと思います。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571-1610年)。彼の人生を一言で表せば、「光と闇」ではないかと思います。”光”と”闇”は異質なモノ。その異質な特性を組み合わせた彼の生き方と絵画は極めて創造的だったと思います。「創造性は”異質な文化や考えのぶつかりあい”から生まれる」と以前定義づけましたが、その定義通りカラヴァッジョの生き方そのものも、作品も創造性にあふれるものでした。

今回の展覧会で特筆すべきは、「法悦のマグダラのマリア」。世界初公開です。これはモナリザに匹敵するくらい素晴らしい作品なので、ぜひ鑑賞しましょう♪

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画像出典:http://www.art-annual.jp/wp/wp-content/uploads/2016/02/a04d322b98a9e501b764659a4012cab6.jpg 

法悦のマグダラのマリア」にみる聖女性と娼婦性

あなたはこのマグダラのマリアの表情を見て、ドギマギしませんか?彼女の手を見ると、土気色になっています。唇の色も悪い。もしかして、死ぬ瞬間なのか...!!?。ということは、この瞬間のマグダラのマリアは神との一体感を味わっているため、この恍惚とした表情になっているのでしょうか。いや、それともこれは彼女がイエス・キリストと出会う前は娼婦だったという説があるのでその娼婦性を表現しているのでしょうか。

豊満な体を投げ出すかのような忘我の姿勢と表情のマリア。肩もはだけ、瞳も唇もわずかに開かれていて、とても官能的です。波乱万丈で色々苦労のあった人生を終える瞬間、神と一体化する喜びで忘我の姿勢で恍惚とした表情となったのか。それとも、娼婦のように官能的に性的に達した女性のように我を忘れた妖艶な表情となったのか。どちらともとれます。彼女は聖女なのか、娼婦なのか。どちらなのか。

わたしは中学生の頃、遠藤周作さんの読者ファンでしたが、彼によるとマグダラのマリアはイエスに会う前は娼婦だったということ。イエスキリストと出会って聖なる女性に生まれ変わったということを遠藤周作さんは述べておられました。マグダラのマリアはいつもイエスのそばにいました。イエスの福音の旅、処刑、納棺と埋葬、復活。彼女は新約聖書のマタイ伝、マルコ伝、ルカ伝、ヨハネ伝の4つの福音書にでてきます。けれど実は、古代の文献には彼女が娼婦だったという記述はないそうです。『ダ・ヴィチ・コード』という映画が以前ありましたが、確かその映画ではマリアはイエスの妻とされていたのではなかったでしょうか。どうしてイエスキリストがそこまで彼女に目をかけたのか分かりませんが、わたしにとっては謎にみちた女性です。それにしても、マリアの聖女性と娼婦性の両面性を繊細にそして大胆にも組み合わせた描いたカラヴァッジョのすご腕には圧倒されます。ぜひ、この絵だけでもご鑑賞ください。なにせ、世界初公開ですから。

 

変人カラヴァッジョのキアロスクーロ(明暗法)

さて、ご存知のようにカラヴァッジョは絵筆で名を上げたローマが誇る画家。けれど剣で人生を狂わせました。生前のカラヴァッジョを知る人はかれを「とてつもない変人」、あるいは「ひねくれた男」と評しているそうです。バロック絵画のパイオニアで名声を得るものの、激しい気性の持ち主で、凶悪で下劣な性質もあり剣で人を殺し、死刑の判決をくだされローマを追われます。ローマの警察権が及ばないナポリでローマから来た大先生として活躍しますが、十字軍の流れを組むエリート修道士の島、マルタ島に渡り、大作「洗礼者ヨハネの斬首」を描きます。けれどマルタ島でも事件を起こし、島を追われます。けれど彼なくしては、ペラスケスも、レンブランドも、フェルメールも登場し得なかったと言われているのです。*1

カラヴァッジョは、西洋絵画の歴史を大きく転換させました。すなわちルネサンスマニエリスムからバロックへと革新させます。その中核となる点は二つだそうです。それまでになかった”斬新な光の扱い”と”理想化”を排した冷徹な写実(自然主義)です。16世紀マニエリスム絵画の場合、どこからともなく振り注ぐ光が絵全体を満たしていました。けれど、カラヴァッジョの光は、画面の外側から射し込んで、人物や事物をスポットライトのように照らし出す。それ以外の部分は闇なのです。この明暗法(キアロスクーロ)は強烈で劇的でした。この出発点となった作品が「聖マタイの召命」です。*2

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 「聖マタイの召命」画像引用:

http://blog.goo.ne.jp/konstanze/e/3180e3160710d7fbf9d3dfed0e2d3c7c

 このエグいと言われるほどの明暗法はかれが各地を転々と逃亡し続けた晩年、どんどんエスカレートしていったそうです。彼の画風が変わっていったのは殺人犯として逃亡中のみであるための焦りや時間や画材を節約する必要性があったと美術史家の宮下規久郎氏は述べています。もし、カラヴァッジョが良識ある人間で、罪を犯さずローマに腰を落ち着けていたら、意外と画風もマンネリ化して、人々に飽きられていたかもしれないですね。「洗礼者ヨハネの斬首」「ラザロの復活」など晩年の作品群はいずれも”闇”が広大に占めており、そこに一条の”光”がさしています。彼は絶望のなかにいても、最後まで希望を託していたのではないでしょうか。

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「洗礼者ヨハネの斬首」画像引用:

http://tabinootoko.web.fc2.com/malta.html

また、彼は粗暴な人柄だったとはいえ、「法悦のマグダラのマリア」を見てもわかりますように、弱きものに対する繊細な優しさを持ち合わせていたのではないかと思われます。犯罪と芸術を同居させたカラヴァッジョ。光と闇を大胆に革新的に組み合わせたカラヴァッジョ。38歳で亡くならずに、もう少し長生きできたら、もっと多くの作品をみれたのにと残念です。

では、またね〜♪

*1:1.「芸術新潮」3月号 特集人殺し画家が描く”神の光”p16,40

*2:2.「芸術新潮」3月号 p32