美咲の曼荼羅ブログ

人間と自然、日本と世界、地球と地域、女と男などの臨界点を見据えながら、日々の出来事を綴るブログ

多様なものが共に生きる

多様なものが共に生きる=曼荼羅思想

こんにちは、美咲です。

さて、わたしがなぜ曼荼羅思想にこだわるかというと、そこに多様なものが共に生きているからです。多様なものが共に生きなくても、類友で居心地よく暮らしていけばいいじゃんって考え方もありますが、そうすれば、いずれ人間社会は病んでいくと思いますね。現実世界の現実は、多様性は多様なままに存在します。類友で仲良く暮らしていくという発想だけなら、まだ平和ですが、たとえばこれまでのアメリカ外交政策の歴史とか見てみると、多様なものは殺す、自分が一番偉いんだ、だから自分のようにみんながならなければならない。ならないものは殺していけば、これで世界は平和になる・・・、そういう平和思想は危険です。なんかイラク戦争なんてその典型だったように思えます。あらゆるところで先制攻撃をするってことは、あらゆるところで地球を破壊することですから。

エコロジカルな視点から考えてみましょう。どうして現代の日本に住むわたし達は花粉症に悩まされるのか・・・。辛いですよね。急に鼻水はでてくるわ、涙がポロポロでてくるわ・・・。これって、つまり原生林、雑木林をやめて、たった一種類の林にしたということもありますよね。たった一種類、杉、檜というたった一種類の林にしたことが問題となっている。悲しいことに、杉や檜だけの林を国家の政策に基づいて進めた人たちは善意の気持ちで進めたわけです。日本の木材問題を解決するためには杉だけを植えることによって解決する。杉は成長が早いし、だから早く売れる、と。木材という一つの視点からしか見ていないから、そういうことができるわけで、視点をずらすと、一種類だけの木だけを植えて生態系によいはずがないという見方すらできなくなっていたわけです。

わたしたちは自然のあり方からいろいろ学べます。人間も自然の一部としたら、一種類のタイプしかいない人間の林、森は反・エコロジカルなわけで、歪みを後々生みます。多様な人が多様なまま混在していてこそ健全で自然です。

わたしなど、次男が障がい者ですが、彼はいまの物質的な価値観に基づいた社会では、”家族や社会の負担になる”とか”かわいそう”という見方をされます。いろいろ苦労させていただいた結果、大変だけれど、学びや恵みも大きいとも言えます。確かに家族や社会が担う責任は重いし、大変で、綺麗事ではすみませんが、社会的弱者は邪魔というモノの見方は、モノゴトをあまりにも一面的、物質的にしか見ていません。今の時代、強者から学ぶことはもはやないのではないか、弱者から学ぶことの方が多いのではないかと、昨今感じているくらいです。次男には大変な子育てを通じ、生きるということを教えてもらっているからです。

残念なことに昨年秋に茨城県の教育委員になった長谷川智恵子氏が特別支援学校を視察して、産む前に障がい児は堕胎するよう意識改革せよと発言し、後に撤回したことも記憶に新しいですね。邪魔な者は排除するという考え方で、これは日本社会の世間感情そのものなのかもしれないです。長谷川氏には当初悪気などまったくなかったのでしょうが、弱者は排除せよという考え方は危険です。

”オトコは切り、オンナはつなぐ”

前出の茨城の教育委員の方は、面はお化粧した綺麗な女性ですが、中身は男性原理の強い人なのでしょう。心理学的にはよく、”男は切り、女はつなぐ”といいますから。男が、女がという表現は正しくないのかもしれない。男性的な特徴をもった女性とか、女性的な特徴をもった男性といった方が的確かもしれないです。鶴見和子氏は「南方熊楠の謎」の対談で、男とか女とかでなくて女性的な特徴を持った男性とか男性的な特徴を持った女性という表現をされていましたね。まぁ、鶴見先生は、「わたしは女性的な男性を信頼する。しかし、男性的な女性は信用しない」と一部の女性政治家について釘をさされていたのが印象的でした。

さらに、千田智子氏が南方熊楠についての座談会で、こうおもしろいことを述べています。

「切るというのは、同質性のものを集団として確保する、その結果、切れたように見えるんです。対して、異質なものをつなげていくというのが女的だと思うんです。組織や秩序のなかにおいて、異質ととして区切られているものどうしをつないでいけば、結果として、その組織は瓦解します。*1

これについては、また今度お話します。

エコロジー曼荼羅

なぜこれまでブログに南方熊楠を取り上げてきたかというと、熊楠はエコロジーの思想と曼荼羅の思想を統一させたからです。曼荼羅は古代インドの発祥で、エコロジーの発祥は近代の欧米。古代インドの思想と近代科学の一部とされていたエコロジーの思想の一致点を熊楠は見出していたので、創造的で面白いのです。熊楠はそれを粘菌の研究を通じて追求するわけですが、鶴見和子さんが以下のように話しておられます。

粘菌というものは、高層、中層、低層、そして下草、異なる種類の植生を全体として保全しなければ、粘菌は育たない。つまり多様性です。植生の種の多様性が守られることが必要だ。これは曼荼羅思想ですよ。多様なものがともに生きる。これはエコロジー思想でもあるの。だからその一致点を、南方どの程度自覚していたか。南方を離れて考えても、この一致点というのは、どのように解釈できるか。いま、私、最後におもしろい問題だと思って抱えている。「南方熊楠の謎」松居竜五著 藤原書店 P256-257より*2

 南方熊楠は、粘菌という特異な生物の研究でモノゴトの本質を究めていきました。いろいろな植物層、動物層、人間の世界でも多様性があることによって生きていけるというのがエコロジーの発想です。

鶴見和子氏が曼荼羅と多様性についてこう述べています。

曼荼羅を私流にいうと、異なるものが異なるままに、ともに補いあい、助け合って、ともに生きる。それへの道を追求する思想。曼荼羅を平たくいえば、そうだと。ところが、エコロジーもそうなのね。多様性は多様なままに、つまり多様性があるということは現実世界の現実なのよ。((3「南方熊楠の謎」松居竜五著 藤原書店 P263)

 そうよ!そのとおり!!下の写真は熊野の森にいる南方熊楠です。こうやって全身全霊で自然のエネルギーを感じていたんですね。

 

では、またねー♪

http://sauvage.jp/isswp/wp-content/uploads/2014/05/rincyurazou-630x451.jpg

 画像サイト引用:明治大学野生の科学研究所

公開講座:南方熊楠の新次元 第四回「アクティビスト南方熊楠」レポート | 明治大学 野生の科学研究所

 

 

*1:1「南方熊楠の謎」松居竜五著 藤原書店 P257

*2:南方熊楠の謎」松居竜五著 藤原書店 P256-257