Misakiの曼荼羅ブログ

人間と自然、日本と世界、地球と地域、女と男などの臨界点を見据えながら、日々の出来事を綴るブログ

強者の論理を超える

美咲です。

これまで、このブログでは何らかの形で曼荼羅の論理を紹介してきました。曼荼羅の論理とは、”異なるものは異なるままに互いに補いあい助け合って、共に生きる道を探求する論理”です。わたしは、仏教徒ではないですが、この多様性を生かす思想に深く共感してきました。

数の論理、力の論理が支配する現代の社会

現代の世の中の流れは、この論理とは対照的です。数の論理、力の論理が支配しています。味方でないものはすべて敵であって、敵は武力によって排除すべきなり、という二者択一の考え方です。

たとえば、戦争やテロの多発。最近は特にテロが多いです。昨年のフランスの同時多発テロはまだ記憶に新しいです。バングラデッシュののテロでも多くの日本人が犠牲にあいました。このバングラデッシュのテロの実行犯などは貧しくて教育も受けていない層ではなくて高学歴の裕福な家の出身者たちでした。

さらに衝撃的だったのは、先週起こった相模原の障がい者施設での殺傷事件でした。容疑者は最近では薬物にはまっていたというものの、大学はでていますし、親は教師で、普通の家庭の出身です。

これまでも障がい者に対する虐待事件などあったとき、必ず問われてきたのが、社会福祉の仕事の過酷さのためのストレスで、そのために介護者が虐待や殺人に走ったという指摘です。この事件の場合、そういった次元のものではないのは明白です。容疑者にはナチス的優生思想があり、薬物による妄想癖があり、弱者は腕力で排除するという力の論理を持ち合わせていました。

 

現代の教育がその要因か

意外な方がテロが多発する原因について触れていました。堀江貴文さんです。この相模原の事件に関しても、「これは承認欲求だな」とツィッターで流してらっしゃいましたっけ。案外これは核心を突いているかなと思いました。つまりは彼が話すには、今の教育では自意識過剰な人が育ちやすいということ。だから必要以上に他人の目を気にする。すると、暴力に頼ってでも結論に急ごうとする。こうしたテロ犯や犯罪者は高学歴であるがゆえに、自分の置かれている状況に納得していないというのですね。堀江さんの主張は、教育を変える必要があるということ。世の中には絶対的価値観というものはなくて、いろんな考え方を持つ人がいるんだという現実を知らせた方がいいよねと話し合ってましたね。そうすればこういったテロのような悲劇はおきないだろうと。。彼のブログはこちら↓

weblog.horiemon.com

まぁ、堀江さんは障がい者は役に立たないと言ったとか言わなかったとかいろいろと叩かれていたことがありましたが、 この事件の本質を最初にズバッと指摘されていたので、なるほど、現在の教育のあり方について、わたしたちは考えていく必要があると思います。

たとえば日本の教育はとくに暗記が未だに中心ですから、偏差値重視。特定のテーマに関して討論して、いろんな考え方があるってい現実を知ろうという内容ではないので、彼の指摘には納得がいきますね。

わたしが思うに、この事件の容疑者は、要は目立ちたかったのですよ。思うように進んでいかない自分の人生。成功者、強者ともかけはなれた現実の自分の生活。そのストレスのはけ口を自分より弱い者に向けたのです。決して許すことはできません。

排除の論理は人を幸せにはしない

密教の専門学者の頼富本宏さんは、こうおっしゃってます。

「明日は今日よりよい天気」「他に勝つことが幸福」という無邪気で脳天気な発想が、摂理的にも、現象的にも長続きしないことは熟慮すれば明白である。........最近、無原則な「数の神話」が横行している。確かに民主主義は方便的手段として「数」を用いるが、一人でも多ければ「絶対」もしくは「正義」ということにはならない。むしろ「少数」「周辺」を活かすのが曼荼羅の知恵である。頼富本宏京都新聞」1999年10月5日夕刊

わたしがタイトルに使った「強者の論理」はここでは、他に勝つことを幸福に感じることの論理、そして数や力の論理を意味します。弱気の味方になるヒーローの強者という定義もしてみたいものですが。

自分と違う、異質と思えるものはすべて両立しないといって、排除する。力をもって排除すればいい。そういう排除の論理が世界をいま支配しているわけで、これは非常に困ったものだと思います。こんな時代だからこそ、古代のアジアにあった”異なるものは異なるままに互いに補いあい助け合って、共に生きる道を探求する論理”ー曼荼羅の思想を強く言うことが大事だと考えます。

 わたしのような女はいわゆる弱者で腕力もありません。子供の一人は障がい者で、それこそ、他人事ではない事件が起こってしまいました。本当に吐き気がでるほどのショックを受けました。強者が腕力でくるなら、弱者は知力でやる。腕力で戦っても、絶対に勝てません。もうそれは明らかですから、知力を使わなければダメ。

これまでの歴史では革命には暴力がともないました。そうでなくて、これからは交替性です。元気をもって、曼荼羅的考え方が非常に必要な時期だと思っています。

非暴力抵抗が女のやりかた。ガンジーにしても、確かに大地に結びついているような強さがありました。そういう意味での持続的な強さのある社会変動はどうやったらつくられるのでしょうか。