Misakiの曼荼羅ブログ

人間と自然、日本と世界、地球と地域、女と男などの臨界点を見据えながら、日々の出来事を綴るブログ

天に神はいたのか、いなかったのか。

なぜ、私は宇宙という存在に心惹かれるのでしょうか。

「美咲は宇宙人だからね」と言われたことがあります。けれども、私は日本という辺境に住む女です。一応、地球人のはずだと思います。

さて、重力のない宇宙では上も下もありません。

「宇宙では、地上の上下意識は溶けていく---。」この概念を脳にインプットするだけでもなんかこうワクワクとしてきませんか。発想の転換につながっていくように思えますよね。

宇宙にはまた、"Great Some Being"のような神のような存在があるように感じています。だから、心惹かれるのでしょうか…。

ところで、有人宇宙船で宇宙に行き、初めて地球に無事帰還した宇宙飛行士のことはご存知ですか。

ユーリ・ガガーリンです。

ガガーリンは、1961年4月12日、バイコヌール宇宙基地からヴォシュトーク1号(人類発の有人宇宙船)で宇宙に飛び立ちました。*1

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 画像出典:エネルギア社の博物館

「エネルギア」公団は、モスクワの宇宙開発を推進している国家機関の一つです。こちらの宇宙開発資料館には、スプートニクのモデルを始めとし、ヴォシュトークソユーズといった歴代の有人宇宙船がずらりと展示されているそうです。*2

この有人宇宙船を見て、私が最初に思ったのは、「ちっちゃ!」ということです。そして、「丸い」。ガガーリンは身長157センチということで、その身長の低さが、選考された理由の一つとも聞いています。なにしろこの有人宇宙船自体が小さいのですから。

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画像出典:ガガーリン 初めて宇宙を飛んだ男 : 日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

youtu.be

ユーリ・ガガーリン(映画のガガーリン、かっこいい)

画像出典:ガガーリン 世界を変えた108分|公式サイト

初期の宇宙飛行士たちは”桃太郎”だった!

実際に「エネルギア」の博物館でヴォシュトークの有人宇宙船を見た井上昭夫教授は、ヴォシュトーク号を遠くから眺めるとなぜか”桃”のように見えたと言います。*3それは、まるであたかもいま発掘された古代恐竜のタマゴの化石のようにも見えたとか。

その円型の表面がざらざらとした赤茶けた宇宙船は、あたかもいましがた発掘された古代恐竜の卵の化石のようにも見え、遠くから眺めるとなぜか桃のようにも見える。ユーリ・ガガーリンの母なる惑星地球周遊初飛行は、人類のコズミック・バース(「宇宙意識」の誕生)としてたとえられるが、それ故にか展示された歴代の宇宙船は、さまざまな世界創造神話を想起せしめ、私の宇宙意識が目覚めたのが、「宇宙卵」のようにも巨大な天から落下して来た「宇宙種」のようにも見えてきた。初期の宇宙飛行士はさしずめ現代の「桃太郎」である。『こころの進化ー【宇宙意識】への目覚め』フォレスト出版 p15  井上昭夫著

現実には桃が川上から流れてきていても、その桃から桃太郎が生まれることはありません。少なくとも私は見た事はありません。あなたは自然の桃から桃太郎がオギャーと生まれてくるのを目撃したことはありますか。ないでしょう。それがものごとを観察する一つめの目です。けれども、もう一つの目を使って、初期の有人宇宙船を”桃”に見立てることで、「昔話や神話の知」を復権させれば、そこに感動が生まれるのです。ストーリが見えてくるからです。ものごとを複眼的に見ると、世界が立体的に見え、世界が広がります。

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画像出典:http://kids.wanpug.com/illust121.html

さて初期の宇宙飛行士たちは、地上では英雄として迎えられました。彼ら初期の宇宙飛行士たちー現代の桃太郎は、昔話のように川上からではなく、天上から降下してきたイメージがありました。たとえば天から火の玉となって下降し、落下傘に助けられ太平洋に無事着水し、水に浮かぶ赤焦げた球体からしばらくして現れ出てきてガッツポーズをとる宇宙飛行士は人々に尊敬とめずらしさの念をおこさせました。

そこにイメージできるのは、「誕生」です。桃太郎の誕生と”人類の新しい宇宙時代への誕生”を象徴的にとらえることができたのです。「宇宙意識」の誕生でもあります。

「天に神はいなかったか」

人類で初めて天を周遊したガガーリンは、けれども「天に神はいなかった」という有名な言葉を残します。日本では「地球は青かった」という言葉の方が有名ですよね。 この言葉は、キリスト教圏やアメリカ文化にショックを与えたと言います。この言葉は、「あたりを一生懸命ぐるぐる見まわしてみたがやはり神は見当たらなかった」とつづくそうです。

ここで、疑問がひとつわいてきます。ヴォシュトーク1号を”子宮”にたとえましょう。有人宇宙船内の胎児にたとえられる”桃太郎ガガーリン”は子宮の中にいたのです。子宮の中にいて、ぐるぐる外をあたりを見渡すことができたのでしょうか。ガガーリンの登場したヴォシュトークは、直径二メートル30センチの球形でした。アメリカの有人宇宙船のマーキュリーやジェミニは円錐型でしたが。ヴォシュトークの内部はところ狭しと計器類が並べられているそうです。そのなかで宇宙飛行士は、ひざを折り曲げた姿勢で座席にくくりつけられていました。自由に動けたのは、機器操作に必要な両手だけだったと推測できます。アメリカのスペースシャトルや、ソ連のミールといった起動宇宙船内は、船内遊泳は可能でしたが、ヴォシュトークソユーズといった再突入カプセルの中では宇宙飛行士はほとんど身動きできなかったのです。円型カプセルのなかには、片手でふたをすればかくれるくらいの天窓というか円型の小さい窓がついているそうです。その窓を通して、ガガーリンの目に「青い地球」は見えたでしょうが、この小さな窓枠から船外を「ぐるぐる見まわす」といった動作は果たして可能だったか疑問です。そのうえ、ガガーリンは大きなヘルメットをかぶっていたのです。当時の共産主義国ソ連キリスト教圏資本主義大国アメリカに向けて、意図的にガガーリンに発せさせた政治的・イデオロギー的発言の可能性があり、人類最初に宇宙を飛び出した宇宙飛行士自ら発した言葉ではなかったかもしれません。けれども、ガガーリンは科学者でもあります。見ていないものを「見た」とも言えないのです。天に神は見えなかった、いなかったと彼が本当に言ったとしても不思議はありません。

天に神がいたのか、いなかったのか、私自身確かめていないので何とも答えが言えませんが、あなたはどう感じますか。日本人には”神”という概念がない人がほとんどなので、この質問はやや日本人には今ひとつインパクトがないかもしれませんが。

ケンブリッジ大学の生化学、科学史中国文明史など多角的な分野での世界的権威で、”20世紀の巨人”といわれるジョセフ・ニーダムは、天理国際シンポジウムで ’86『コスモス・生命・宗教』の公開講演において、”人間生命の宇宙的環境”についての論考を発表しました。そのなかでニーダムは、一貫して、最近の天文学宇宙論、そして物理学がもたらしたマクロ、ミクロに関する宇宙についての新しい人間の知識の増大にたいして、宗教や神学はそれを無視できず、折り合いをつけねばならないと主張していました。*4

さて、次回は1965年にジェミニ計画により宇宙に向かったチャールズ・ピート・コンラッド元米国宇宙飛行士の体験も交えて話してみましょう。彼は月に降り立ったとき、とても「陽気な気持ち」になったと言います。では、お楽しみに!

今日もこの「Misakiの曼荼羅ブログ」に来てくれてありがとうございます!

 

*1:『「グローカル」マインドと「宇宙意識」グローカル新書 p130』 井上昭夫著 、https://jp.rbth.com/science/2013/04/12/121961_42401

*2:『「グローカル」マインドと「宇宙意識」グローカル新書 p130』 井上昭夫著 

*3:『こころの進化ー【宇宙意識】への目覚め』フォレスト出版 p15  井上昭夫著

*4:『こころの進化ー【宇宙意識】への目覚め』フォレスト出版 p24  井上昭夫著