「生きている」地球を見た宇宙飛行士の「生」の声
初期の宇宙飛行士たちにとって、月に行く事が大きな勇気を必要としたことは、前回のブログでお話したとおりです。では、道なき道を開拓してきた宇宙飛行士たちが初めて地球外に飛び出し、宇宙空間に漂い、月に降り立った時、どのように感じたのでしょうか。
宇宙から見た「生きている」地球は彼らの目にはどのように見えたのでしょうか。
画像出典:地球の庭 - 学びの庭
宇宙飛行士たちが、地球外から初めて地球を眺めた瞬間、魂を根底から揺さぶるように受けた深い感動。その「生」の声を数多くの初期の宇宙飛行士たちから聞いてきた『こころの進化ー【宇宙意識】への目覚め』の著者である井上昭夫氏に直接電話して話を聞いてみました。
印象的だったのは、ラッセル・シュワイカート元米国宇宙飛行士だったと井上氏は話します。シュワイカート元宇宙飛行士は、1969年、アポロ9号に乗って、初めて宇宙遊泳をし、月面着陸船を操縦された方です。
以前のコラムでも紹介した方です。この方です↓
画像出典:ラッセル・シュウェイカート - Wikipedia
”宇宙”と”禅”の関係とは
井上氏が訪ねたシュワイカート元宇宙飛行士のご自宅は、米国・サンフランシスコのソーソリートの港に停められている船だったそうです。なぜ、船か?ソーソリートと言えば、ベイエリアの富裕層が住むエリアですが、でもなぜ船をご自宅にされるのだろうと最初、不思議に思いました。
どうやら、船だと潮の満ち引きを体感できることから、地球の動きを感じ、宇宙を感じながら生活できるからだそうです。宇宙好きな方は多いですが、この話を聞いて、本当に宇宙遊泳を体験された方は違うなと感じました。また、シュワイカート宇宙飛行士が地球に帰還してからは、禅寺に通い始めたことも聞き、なぜか分からないですが感銘を受けました。
話を聞きながら、”宇宙”と”禅”のつながりは何だろうと考えました。宇宙飛行や宇宙での実験は科学の最先端です。シュワイカート宇宙飛行士はMITで理学修士号を取得し、NASAの所員となられ、アメリカ人として初の宇宙遊泳をされた方です。いわば科学の最先端にいらっしゃった方です。その方が宇宙から帰還して、禅寺に通い始めるのです。
アポロ9号で宇宙へ行き、人類として初めて船外活動をしていたシュワイカート。そのとき、宇宙遊泳をする彼の姿を撮ることになっていたのがスコット飛行士ですが、カメラが突然故障してしまったのです。そこで、スコットは、シュワイカートに、そのまま待つように言い残して、自分はカメラを治すために宇宙船に戻りました。シュワイカートはしばらく宇宙に一人で置かれることになったのです。(井上昭夫談)
宇宙空間で、人類史上初めて、地球ともアポロ9号の母船とも連絡がとれない状況で、たった一人、ひとりで宇宙の空間で地球を見つめることになったわけですが、そのとき、彼の世界観は大きく変わったと言います。この体験と前と後で同じ人間ではあるのですが、世界に対するものの見方がドラスティックに変わったとシュワイカートは話していたと言います。この時の体験をシュワイカートは『地球・母なる星』という本の中でこう言っています。
”突然することがなくなった私はゆっくりとまわりを見渡しました。私の真下には真っ青な美しい地球が拡がっています。ちょうど西海岸の上を飛んでいたのですが、その風景は信じられないほど美しいものでした。そして、完全な静寂。視界を遮るものは一切なく、無重力のため宇宙服の感触すらなく、自分はまるで素っ裸でたったひとり宇宙に浮いていると感じたのです。
そのとき、突然私の中にこんな想いが湧き上がってきたのです。
『どうして私はここにいるのだろう。どうしてこんなことが起こっているんだ。私はいったい誰だ。そうだ、ここにいるのは私ではなく、〝我々″なんだ。これはまるで奇跡じゃないか。私は、いや、我々は、今まさに地球に育まれた命が、地球の子宮から生まれ出ようとする、その一瞬に立ち会っているんだ』。
こんな確信が一瞬のうちに生まれたのです。考えたのではなく、一瞬に流れ込んできたのです。私という存在が、眼下に拡がる地球のすべての生命と深くつながっているということが、頭ではなく心で理解できたのです。こんな深い連帯感は、今まで一度も味わったことはありませんでした。
このときから私の世界観は大きく変わりました。もちろん、体験の前と後で同じ人間ではあるのですが、世界に対するものの見方が大きく変わったのです。
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この地球に生きとし生きる我々すべてのものが、今まさに『コズミック・バース』宇宙的誕生の時代にさしかかっているのだと思うのです。
シュワイカート談『地球・母なる星』より
後に、地球に帰還してからシュワイカートが禅寺に通い始めるのは、宇宙遊泳は科学の最先端の活動だったのに、そこで体験したことには宗教的な感動があったからではないでしょうか。
宇宙飛行士たちは宗教的な言葉は一切使わず、宇宙での宗教的な感動を語った
日本人で初めて宇宙に行ったのは秋山豊寛さんですが、(ジャーナリストとしても初めて)地球に帰還後はTBS放送をやめ、農民になり、森番になったそうです。彼も「地球からいったん離れて、ほんとうに地球と共存しているとわかった」というようなことをおっしゃったと井上氏は話してます。
さて、1989年に『地球・宇宙と人間 Earth, Space and Humanbeings 天理国際セミナー'89』 で、同氏は前述のシュワイカート氏、ソ連からはオリューグ・マカロフ元宇宙飛行士、ブルガリアからはゲオルギ・イワノフ元宇宙飛行士らを招聘してセミナーを開催しました。そのときのコーディネーターが河合隼雄先生でした。宇宙飛行士たちの印象を二人は対談でこう語っています。
井上昭夫:先生はシュワイカートに幾度か、お会いになっておられますが、どのような印象を持たれましたか。
河合隼雄:言葉が全部、体験に裏づけられていて、本物だという印象を強く受けましたね。東洋人に近い考え方、感覚を持っておられる方でした。
井上 :「あなたは、なぜ宇宙飛行士になろうと思ったのですか」とたずねましたら、五十九年にソ連のスプートニックが初めて宇宙へ出て、地球を回ったときピーピーという発信音を地球に流してきましたね。それをシュワイカートはMITの学生食堂で飯を食いながら聞いていたそうですが、そのときに決断したと言っていました。
衛星からの、あの発信音は、いろんなところで、いろんな人に影響を及ぼしたようです。
宇宙に二百数十日も滞在したセレブロフは「地上で宇宙船ミールに乗っている夢を、ミールに乗船しているときは、まだ幼い自分が、麦畑のあぜ道を一人で歩いている夢を、よく見た」と言っていました。
命綱なしで宇宙に出た最初の宇宙飛行士にマッキャンドレスがいます。彼は船長に早く船に戻れと言われたのに、「このままずっとここにいたいと思った」と、そのときに自分を襲った恍惚感を語っています。
最初に月面に降り立ったコンラッドは、「爽快」「すごく陽気な気分に襲われた」と言っています。
『コスモスNo.2 「人と物とのつながりの回復 河合隼雄文化庁長官に聞く』の対談 ”新「つながり」思想の誕生”より抜粋
『地球・宇宙と人間 Earth, Space and Humanbeings 天理国際セミナー'89』のパンフレットの写真(井上氏より譲り受ける。貴重な一枚。)
宗教学者の笠原芳光教授は、宇宙飛行士たちは一言も宗教的なコメントも述べずに宗教的な感動を述べたと、後に毎日新聞に感想を寄せています。
毎日新聞1989年七月二五日の記事より抜粋
『原点』―「宇宙飛行士の感動」笠原芳光 京都精華大学・宗教思想史
” 宗教は宗教の繁栄のためにあるよりも社会や文化を生かすためにあるべきだろう。文化活動である天理やまと文化会議がセミナー「地球・宇宙と人間」を開いた。コンピューターミュージック、和太鼓、雅楽という現代と伝統の音楽の演奏のあと、三人の宇宙飛行士の講演が行われた。
ソ連のオリョーグ・マカロフ氏は「なぜ宇宙へ行くのか。好奇心からだ。星の美しさよりも地球の美しさははるかにまさっている」と話した。アメリカのラッセル・シュワイカート氏は「宇宙船のなかでエンジニア、飛行士、アメリカ人といったことをすべて忘れ、ただ人間として、そこにいた」とのべた。そしてブルガリアのゲオルギ氏は「宇宙から見た地球に国境は見あたらなかった」と語った。
そのあと河合隼雄氏の司会で天理大学のピノ・マラス氏を加えてパネルディスカッションが行われた。河合氏は「宇宙飛行士は宇宙を知った。それも頭ではなく、体全体で知った。これは単なる事実ではなく、感動である」、マラス氏は「三人は体験の哲学者、無所属の神学者、無言の言語学者だ」と感想をのべて、討論が始められた。
背景に宇宙や地球や飛行船のスライドが映され、飛行士たちの笑顔がすばらしかった。宗教が論じられたわけではないのに、そこには宗教的な感動があった。”
宇宙飛行士たちは、悟りを求めて宇宙へ飛び出したわけではありません。けれども、無重力空間に出て、地球に還ってきたら、結果的に意識が変わっていた。井上氏は無重力空間である宇宙船と修行のために僧侶がこもる山に類似性を見つけます。
画像出典:君は比叡山延暦寺の荒行「千日回峰行」を知っているか? - NAVER まとめ
河合隼雄先生は、この対談で、その類似性についてこのように話しておられました。
僧が修行によって到達しようとした境地は心身脱落ですが、宇宙飛行士が同じ状態になるというのは、非常に面白いですよね。コンラッドのように、そのような体験がなかった人もいますが、禅の場合でも、いくら座っても、そうならない人がいますから。『コスモスNo.2 「人と物とのつながりの回復 河合隼雄文化庁長官に聞く』の対談 より
月面で陽気になったコンラッド宇宙飛行士
人類2度目の月着陸、そして初の月面での船外活動を行ったチャールズ・ピート・コンラッドは宇宙での体験を「爽快」「とても陽気な気分になった」と講演でも話されていました。(『心の宇宙・宇宙の心 '86国際シンポジウム』。彼は宇宙では"Great Some Being"の存在を感じたと以前のこのブログのコラムでも書きました。
チャールズ・ピート・コンラッド
画像出典:宇宙情報センター / SPACE INFORMATION CENTER :チャールズ・コンラッド
アポロ12号( コンラッド船長、ビーン月着陸船パイロット、ゴードン司令船パイロット )>月着陸船から降りようとしているコンラッド船長
画像出典:アポロ計画の世界を楽しむサイト(アポロ11号、アポロ13号、サターンロケット)
コンラッド元宇宙飛行士が月でどう感じたか、1986国際シンポジウムでこう述べてらっしゃいます。
もう一つのことですが、地球から離れているから宇宙飛行士は孤独になるだろうと考えると思います。確かに私もジェミニ五号の飛行の時はとても寂しく感じました。それだけに、月のように遠いところにゆけば、孤独と寂しさが一層つのってくると思ったのですが、月着陸船が月に着陸した時、そして月に足を踏み出した時、私はとても心地よく感じました。寂しさは感じませんでした。飛行している時は孤独なのですが、なぜか月に到着してしまうと、とても楽しく、陽気になったのです。チャールズ・ピート・コンラッド元米国宇宙飛行士(G-TEN No.57 特集 心の宇宙・宇宙の心 P16 より)
実は、私は27年前にロスでコンラッド氏にお会いしています。とにかく陽気で、気さくで冗談好きな方だったことを覚えています。下の写真がランチ時のものですが、何をその時しゃべっていたかは、もうすっかり忘れてしまいました。忘れるんじゃなかった!でも、とにかく終始笑顔でごきげん!そんな印象の方でした。本当にジョークが大好きなのです。
一つ会話で覚えているのは、誰かがディナーの時に冗談で、「宇宙に行ったらもう、セックスできなくなっちゃうんですよね!?(笑)」というと、ずーっと笑顔でニコニコされていて、ノーコメントという感じでした。奥様が「そんなことないわ!彼は月から帰ってきた後でも、He had me!」と真剣に反論。その間ずっと、ニコニコ、デへへ。ずっと彼のまわりは笑いとジョークが絶えない感じで、本当に陽気な雰囲気の塊の人といった印象でした。ポジティブ・シンキングと陽気、とハッピーとか、ワクワクという言葉がぴったりな方でした。
宇宙に行かれた方は、コンラッド氏だけでなく、特に初期の宇宙飛行士たちは道なき道を開拓された勇気ある方ばかりで、非常に人間的にも魅力的な方が多かったのではないでしょうか。
私が話を聞いた井上氏に宇宙日記のレバノフの印象をお聞きすると、
「うーん、とても真面目な人やったなぁ。筋肉隆々としてて、ウォッカに強かったなぁ」。
ウォッカか。もっと話を聞きたかったのですが、教授もご高齢で疲れたとのことで、次回にさらにお聞きすることにしました。
今日も「美咲の曼荼羅ブログ」に来てくださり、ありがとうございました!