Misakiの曼荼羅ブログ

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『シーシュポスの神話』の逆を行け

アルベール・カミュの随筆『シーシュポスの神話』を読んでみました。

文体は難しくないのですが、内容がとても難解です。

 

シーシュポスは”不条理”の英雄です。

彼は神々を欺いたことで、神々の怒りを買い、罰を受けるのですが、それがとんでもなく辛そうな罰なのです。

こんな感じよ!辛そうね....。

http://www.bilder-geschichte.de/imgsg/stuck-sisyphus.jpg

画像出典:

http://www.bilder-geschichte.de/imgsg/stuck-sisyphus.jpg

 どんな罰だったかというと、以下引用。

”神々がシシューポスに課した刑罰は、休みなく岩をころがして、ある山の頂まで運び上げるというものであったが、ひとたび山頂まで達すると、岩はそれ自体の重さでいつも転がり落ちてしまうのであった。無益で希望のない労働ほど恐ろしい懲罰はないと神々が考えたのは、たしかにいくらかはもっともなことであった。『シーシュポスの神話』より

この罰は未来永劫続くのです。絶望と孤独に満ちています。哀れなシシューポス!

カミュは人間は不条理を生きるシーシュポスだとしています。

内容的に非常に残酷な神話のようです。けれど、私たちの身の回りによくある話を象徴しています。

人ごとではなくて、最初にこのカミュの随筆を読んだとき、私は、自身の自閉症の次男の子育てが最も大変だったころを思い出しました。今はおかげさまで甲斐あってだいぶ落ち着いてきましたが。

たとえば、自閉症の特性として、こだわりが挙げられます。永遠に同じことを繰り返す常同行動とかもそうです。ヒモとかをくるくるずっと回しているなど、可愛いもので、本を片っ端からビリビリに破り続けられた時は参りました。一種の感覚遊びですね。最終的にほとんど売るか処分しました。数百冊です。また、冷蔵庫の鍵をかけ忘れたら、ちょっと目を離したすきに中にあったキャベツをバラバラにちぎって、床一面にちらばす。他には山手線に永遠に乗り続けようとする。毎晩、電車に乗りたい。帰ろうと促しても、どうしても聞いてもらえない、騒ぐ。同じものしか食べない、寝ない。書き出したらキリがないし、これ以上は書けません。その状況を辛抱強く受け止め、周りの方々迷惑をかけないよう気を使い、迷惑をかけたら、とにかく謝り続ける。いつもいつも「ご迷惑おかけしてすみません」と謝っていました。どうにかして、そのこだわりを消去して、良い方に向けるよう教育環境を整えたり、支援体制を整えたり、療育に通い、工夫をこらす。この子の障害の程度は本当に重いのだなと絶望と孤独を感じたものです。私は死んでもこの子のことを心配してるんやろなと。

TEACH療法、ABA行動療法、音楽療法、登山、体育教室、歩行訓練、学習トレーニング、支援者や学校の先生とのコミュニケーション。できることはなんでもやって、お金も費やして、どんなに努力をしても、発語はないし、報われません。前進したかと思ったら、安心したら、また状態が悪くなる、そういうことが繰り返されていました。

私は、神さまに母として試されていたのでしょうか?それともシシューポスのように罰を与えられていたのでしょうか?

実は神さまに試されていたのは、息子で、彼は困った子ではなく、障害のため困っていた子なわけです。言葉を話すこともできないし、指差しもできない。感覚障害もあれば、伝えられないもどかしさもある。その中を重い岩を山頂まで頑張ってあげていたのは息子で、息子の方が母よりずっとずっと忍耐心があるとあとになって愚かな母はわかります。子どもは親が思っているより強く、果敢に生きています。

無意味な労役に喜びを見出すシシューポス

シシューポスは、毎日、毎日転げ落ちる大きな岩を頂上に運ぶわけですが、「これでよし!」と運命を受け入れて、泣き言も言わず神に顔を向け岩を運び上げ続けます。

カミュはシシューポスを人間の英雄として描きました。その無意味な労働に喜びを見出すシシューポスを”不条理”の英雄としたのです。

この随筆は、抽象的なお話のようですが、現実の社会ではよくある話です。

報われない労働に追われている人々、理不尽な病気や障害に長く苦しむ人、家族の介護など永遠に続くかのような疲労に苦しむ人、戦争に巻き込まれ亡くなる人、思いがけない運命のいたずらに翻弄される人。

カミュのいう”不条理”がこの世に満ちています。思いもかけない人生を送っているのは、自分だけではなく、社会には大勢いるわけです。

この不条理な人生の生き方に対する答えとして、カミュは、”その不条理を呑み込む”ということを言いたかったようです。無意味な罰を未来永劫続けなければならないシシューポスは、その中に”喜び”を見出したとカミュはこの随筆を通して指摘したかったのでしょう。それに対し、自殺は”否”です。

確かに、私も母としてそんな子育てから”喜び”を見出したこそ、家族で山を乗り越えたことができたのでしょう。最初の方で述べたネガティブな体験に比べ、息子の人懐っこさ、笑顔、一緒に共有した楽しい体験の数々、いろんな方々との出会いが、今となっては、私の人生の大きな宝ものとなっています。

 

自分自身を発見する物語

この神話は、私にとって”自分自身を発見する物語”を考えるきっかけをくれました。

なりたい自分になる!というような自己啓発や成功本が流行るこの頃です。自分で道を切り開いていく生き方は素晴らしいと思います。

同時に昔から、なんとなく、ほんというと私の人生の物語は先にできていて、それを自分を生きさせられているというふうに感じることがあります。

神さまが、私が生まれる前に、「美咲は、これでいこか」と話してたんじゃないかと。

ストーリーは、つまり作るものではなくて、内在するものを見つけていくことなんかなと。シシューポスが神と対峙したように、自分自身と向き合い、深く深く井戸を掘っていくことが大事ではないかと考えています。

私はこのブログを書き始めた頃、”創造性”について書きました。随分前だけど、これです↓

glocalmisaki.hatenablog.com

そこで私は、創造性を「創造性は”異質な文化や考えのぶつかりあい”から生まれる。」と定義しました。母になる前の私は非常に合理的な人間でした。でも、泥んこになって取り組んだ子育ては私に発想の転換を求めるものでした。「なぜこの子は私をこんなに困らせるんか」と思っていましたが、それではだめなんですね。

では、私たちのような社会の片隅にいる人間も創造的に生きることができるのか?

今では、YESと言えます。どんな人も創造的に生きることができる。一人一人にそれぞれの物語があるのです。

けれど自分の腹の底に落ちるような出来事が自分で納得できないと、物語はできないと思います。言い方を変えれば、意識を深めていくことです。それも自然な形で。

そこまで降りて行こうと思ったら、普通の日常生活だけしてたらダメなんかなという気もします。お坊さんのように修行しないと仕方ない気もします。

でも、まぁ普通に生きていても、人生色々あって、幸いにも災難ということも起こってしまうでしょう。事故に会ってしまったとか、病気になってしまったとか。倒産してしまったとか、傷やトラウマがあるから、物語に入っていくことができるわけだし、作ることもできて、そして出て行くこともできます。

 

『シシューポスの神話』の逆を行け

そう、カミュは、おそらく”無意味な世界を無意味な行動で雄々しく人間は生きるべきである、それが本当の人間の自由である”との思想を持っているのでしょう。また、自殺についても”否”と言っています。シーシュポスのように神と対峙し生きるべきと言いたかったのだと思います。その通りです。

さて、ここまでは「シーシポスの神話」に共感した部分です。でも、すぐに疑問を抱いてしまうのが、私の悪い癖。

私はやはり日本人なので、西洋のギリシア神話の厳しい神と言うのが、肌に合いません。厳しすぎるやろ!何で、未来永劫、重〜い石を山頂まで上げて、上げたと思ったら、岩はコロコロ転がり落ちて、それを追いかけて、また持ち上がるとか、そんなしんどいことしなあかんねん、と。。シーシュポスは、転げ落ちる岩を追いかける時、笑みを浮かべていたんですよ。シーシュポス、強すぎるぜ。

やっぱり西洋の文化や哲学は違うなーとつくづく。西洋の宗教と東洋の宗教の創造神話自体全然違いますから、当たり前ですね。西洋の神、超厳しいです。

私にとっての神さんって、人間を罰すると言う存在ではありません。人間が陽気に楽しくエンジョイして暮らしている様子を見たいのが、私にとっての神さまです。

それに、人間であれば、疲れるでしょう。

また、人生は思ったより短い。未来永劫なんて、ないの。

私も疲れ切った時があって、朝起きたら体が鉛のようになって動けなかった時がありました。

だから思うのですが、我慢して岩を持ち上げなくてもいい時もあるのではないでしょうか。段階でやり方を変え、疲れている時やめんどくさい時はまず楽な道を選ぶ方法もあると思います。案外これが突破口になったりするものです。

泣きたかったら泣けば良いし、苦しかったらウンウン言えばいい。笑みを浮かべなから、転げ落ちる岩を追いかけなくてもよろし!と私は思います。 

人間は人生の途中で、本当はゆっくりと立ち止まって風の声を聞くような日々もないといけないのです。

大きな岩と共に谷底に転がり落ちてしまったら、そこで花でも植えて見るのもいいでしょう。谷底に咲く花なんて粋ですよね。

花は水やりすると、応えてくれる。そこで風の声を聞いてみましょう。

そうすると、心に余裕がでてきます。私も、そうやって谷で私の花を咲かせたいですね。大変なことはいつまでも未来永劫続かない。だから息子たちの笑顔をみて、人生エンジョイしないとなぁと、感じてます。

 

カミュは偉大だと思いますが、

『シーシュポスの神話』の逆を行く!のもおすすめです。

 

読みたい方は、こちらから↓

シーシュポスの神話 (新潮文庫)

シーシュポスの神話 (新潮文庫)

 

  

「悩むな、考えろ!』がモットーの私でも、考えたら考えるほど、わからないのがカミュのこの本でした。

 

今日も、Misakiの曼荼羅ブログに来てくださり、ありがとうございました。