Misakiの曼荼羅ブログ

人間と自然、日本と世界、地球と地域、女と男などの臨界点を見据えながら、日々の出来事を綴るブログ

『フラジャイル』松岡正剛著 ちくま文庫   

『フラジャイル』。松岡正剛のお筆先には、まぎれもない言霊が宿っている。「弱さ」にひそむフラジャイルなものたちを眺める松岡の視線は優しく、読み進めるうちに自分の欠陥を許せる気持ちになった。松岡は、「弱さは強さの欠如ではなく、劇的でピアニッシモな特徴を持つ現象」だと開陳する。社会は全体を重視するが、松岡は部分や断片に魅力を見出す。
 古今東西のフラジリティの例として、茶、能について語り、「あはひ」の意味を提示し、弱々しいウィルスたちが生物進化において意外に重要な役割を果たすことに言及した。ギリシア神話の「境界をまたぐ足の萎えた神」が幻出するかと思えば、三島由紀夫の「うすばかげらふのやうな危機感」と日本近世の無宿人の「一宿一飯の渡世の義理」とがふいに構築される。幼少から田舎の帰国子女で少数派。はぐれもので、家族にハンディキャッパー抱える者として、私は生きていくヒリヒリするような皮膚感覚を持つ。読み終わったあと弱音を聞いてもらったような気がし、私自身の「最深部に眠っている涙」が溢れ出る。漢方薬のようだ。
 松岡は京都を産土とし、小さいころは、泣き虫で吃音で、彼の半生は言葉の時空との闘いの歴史であった。小学生のころ京都の全聾のおばさんとの出会いで挫折感を味わったという。弱者は排除され異質や異常として扱われるが、何か足りないのは自分自身の方と気がついたからだ。
 今「弱さ」がますます許容されない社会になりつつある。ハンディを抱えることは自己責任とされ、排斥される人々の心は、儚く脆くガラスの薔薇のように壊れやすい。弱さから出発し、時機を見極めて向こうから来る微細な流れにひょいと乗る。それを「ラディカル・ウィル」とよぶ。弱いからこそ人間という存在は柔らかく深く生きていくことができる。強さ一色の社会ではつまらないから。