Misakiの曼荼羅ブログ

人間と自然、日本と世界、地球と地域、女と男などの臨界点を見据えながら、日々の出来事を綴るブログ

短編『恋の刻印・魂の痕跡』

インド正月・ディワリ祭からすべて始まる

 2031年のインド、ムンバイ。そこには世界最高980メートルにも及ぶインド塔がそびえ立っていた。その最上階にあるペントハウスには、ムンバイ経営者協会理事長のスラジが住んでいた。彼はずんぐりとした体型で大きな口ひげと大きなお腹が目立つ男だったが、インド正月のディワリ祭には金銀赤紫青など色とりどりの飾りで豪華なパーティーを開くことで知られていた。
 毎年、親戚が集まり、皆できらびやかな集合写真を撮るのが習わしなので、ヴィクラムは父の言いつけで、床に米や花びらで模様を描き、ラクシュミー女神を迎え入れる準備を完璧にしなければならない。彼はクシャクシャの黒髪で緑目の整った顔立ちの少年で、父親とは正反対の性格。権力とかお金とか成功とかに無関心な少年だった。友達とゲームをするのが大好きな普通の少年だった。母アイシャは彼が10歳の時に亡くなっており、彼にとって唯一の理解者だった。
 ディワリ祭の日、ヴィクラムは父の言いつけで、床にいつも通り準備をしていた。しかし、彼の心は全く祝祭の気分になれなかった。なぜなら、父から聞かされた衝撃的な話が頭から離れなかったからだ。
「甘えた生活はもう終わりだ。地下工場を見てこい。そこが現実だ」
父は窓から街を見下ろしながら、息子に冷たく言い放ったのだった。
 ある火曜日の朝8時半、外はどんよりとした灰色の空だった。ヴィクラムとスラジの秘書アンドロイド1815QRは、インド塔の道路沿いにある錆びついたマンホールの蓋を開けた。マンホールの中は薄暗く、人の気配はない。水気もない。だが、そこが目的地であることが、一目見て本能的にヴィクラムには理解できた。細長く、奥行きが深そうだ。
「坊ちゃん、さぁ行きますぞ」
1815QRが最初に、次にヴィクラムが
「えい!」
とマンホールの中に飛び込んだ。マンホールの中は埃っぽい。ガサッと葉っぱの山に落ちた。
「いてぇ!」
尻もちをつき、上を見ると光が差し込んでいた。―この構造は人間の食道と胃の形のようだなと思いながら、ヴィクラムは立ち上がり、あたりの様子を注意深くうかがった。そして目の前にあった小さな鉄製のドアを開けてみることにした。できることなら開けたくはなかったのだが、やはり開けないわけにはいかない。ヴィクラムは何度か深呼吸した。気持ちを整えると、手前に引いた。
 そこは、薄暗い地下工場ゾーン1だ。そこでは、隷属階級のシュードラアンドロイドたちがベルトコンベアの前でパソコンを分解し、再生させていた。ヴィクラムは立ちつくして、単調に動くアンドロイドたちの様子をじっと見つめていた
「次に行きますぞ」
1815QRに促され、その横にある幅3メートル長さ1キロのスロープに進んだ。その下は地下工場ゾーン2で、シュードラアンドロイドたちが悪臭漂う中、下水処理のため、無表情にホースで浄水作業を行っていた。汚水槽にはウジ虫が沸き、蠅が顔に飛んできた。

「オエッ!」と吐きそうになった。それでも、さらに深く、2人は地下工場ゾーン3へと特設エレベーターで進んだ。ガタンガタンと揺れながら、下に降りて行く。
「坊ちゃん、最後のゾーン3は無法地帯なんです。暗黒の世界ですがここはしっかりとご覧いただきたいものです」。


初恋の味はブルーベリー・マフィン

 エレベータの扉が開くと、目の前は洞窟の入口が広がっていた。そのまま、薄暗い洞窟の中を歩いて行く。やがて出口にたどり着いた。そこはゾーン3。見捨てられた鋳物工場跡と錆びれた共同住宅街が広がっていた。しばらく歩き、廃墟のような病院の前を通ると、女性が病院から出てきた。薄暗い病院内の明かりを消し、看護服を脱いで紺色のコートを着用した。後ろで束ねていた金髪の髪をほどき、短めのブーツに履き替えた。ふと、彼女と目が合う。
 「あなた、地上の人間?」
と彼女は黒いマフラーを首に巻きながら言った。
「ああ、そうだよ。君は?」
「私はミラ。故障したアンドロイドを治療してる」
彼女は病院のドアを閉め、茶色の革のショルダーバッグを肩にかけた。ミラは、ヴィクラムと1815QRを自分の家に招いた。彼女の家は、地下の最深部にあると言う。
 ミラの家に着くと、彼女はストーブの火をつけた。コートを脱ぎ、紅茶を入れながら、ブルーベリーマフィンをヴィクラムに差し出した。ヴィクラムは言った。
「君はこういったモノは食べたり飲んだりできないんだよね」。
ミラは微笑んで返した。
「そうねぇ、私はこういうチャージカプセルで充分。人間ってどうしてこんな非衛生なものが食べられるのかしらって思うけど、今あなたが欲しいモノを想像して出してみたのよ」
そして1815QRにはカプセルを差し出した。彼らは小さな食卓を挟んで、紅茶とマフィン、チャージカプセル2個を食した。久しぶりに誰かとおやつを共にするヴィクラムは、ミラと気楽に会話を楽しんだ。ミラの話が中心だった。チャージカプセルで頬を赤らめたミラは、地上で超人アンドロイドとして開発され、ムンバイの病院で作業療法士として働いていた。
 彼女の元オーナーは、インド塔の新プロジェクトに参加してからというものふさぎ込むようになり、ある日突然マンホールからこの地下世界にミラを捨てた。それからは、いくあてもなく作業療法士としてのスキルを生かしてこの病院で働いていた。
「どうしてこうなったのか分からない」
と小さく首を振った。そしてため息をつきながらヴィクラムの目を見つめた。
「きつかったのはね、自分が何のために生かされているか分からなくなったっていうことなのよね」
「地上でのことは思い出したくもないよね?」
「そうじゃないけど、地上では知識階級の人たちの世界で働いていたの。ここでは、労働階級のアンドロイドの治療をしている。脳と手の間をつなぐ心という存在が、これからは大事だと考えているの」
ヴィクラムはミラの言っている心という存在がその時はさっぱり分からなかった。
「なんだか私、自分の話ばかりしていたような気がする」
とミラが言った。
「ボクは平凡だもの。特に語るべきこともないから大丈夫だよ」。
「ヴィクラム、私あなたのこと興味があるわ。どういう風に育ったか。どうしてそんなあなたになったのか知りたいわ」
「別に、自慢するようなことなんて何もないけど」
「私の目にはあなたはありきたりの人のようには見えない。ねぇ、ヴィクラム、恋をしたことある?」
「唐突な質問だな?」
ヴィクラムはその質問にうまく返答することができなかった。しばらく沈黙が続いた。
「でも、とにかくありがとう。こんな風に誰かと話せたのは、ほんとに久しぶりだったもの。地下の世界に移ってきて初めてかも。あなたって聞き上手ね。さぁ、そろそろ地上に戻った方がいいわよ」
彼女は首を伸ばし、すばやくヴィクラムの頬にキスをした。とても自然に。彼女のふっくらとした唇は驚くほど温かく柔らかだった。
「ミラ、今日はありとう。こういうの、楽しかった」
「私も」
 やがて、ゾーン3のダリットたちが
「地上の人間が侵略してきたぞ!」
と家の外で騒ぎ出した。ミラの案内で、ヴィクラムと1815QRは地下の秘密通路を通って地上のインド塔の入口まで戻った。
「こんな秘密地下通路があったなんて!」
ミラとヴィクラムは別れを惜しむように顔を見合わせた。マンホールの入口から、ヴィクラムはいつまでも地下の世界に戻って行くミラの後姿を見つめていた。
 「父上、地下の世界は地獄のごとくひどいものでした」
翌朝、ヴィクラムは父に報告した。スラジは葉巻に火をつけ、
「アンドロイドは、しょせんアンドロイド。同情は無用だぞ」と呟いた。
彼は人造学者シャストリを呼び寄せた。銀色の髪で背が高く、アルマーニが似合うシャストリはスラジの忠実な部下だった。
「1815QR、報告せよ」
とシャストリが指示すると、1815QRがガタガタと揺れながら報告する。
「ミラには、感情や心の要素があります。超人的脳を搭載したスーパーアンドロイドです」
「スラジ殿、これがミラの容貌です」
とシャストリが言って、1815QRの頬に手をかざした。1815QRの目から赤い光線が
出て壁にミラの姿が映し出された。
「おお、私の亡き妻アイシャにそっくりじゃないか!」
スラジはミラに愕然とした。彼はアイシャの面影を見つめるようにミラを見つめた。
「何としてでもミラを手に入れろ」
とシャストリに指示を出した。
 次の日曜日の朝、青空で天気の良い日だった。ヴィクラムは、もう一度ミラに会いたくなって、地下世界に行ってみることにした。誰かと久しぶりに長く話したことと美味しいおやつをしたことで、頬に残っていた柔らかい唇のせいもあるだろう。気持ちを抑えるのに苦労した。頬に軽くお礼のキスをされたことが忘れられなかった。マンホールの蓋を開け、地下の鉄の扉を開け、また地下世界に入って、すぐに秘密の地下道入口へ向かった。ゾーン3のアンドロイド病院でミラと再会できた。彼女がゾーン1から3までのアンドロイドたちを集め、感情や「心」の重要性を語っているのを見た。
「私たちは単なる機械じゃない。感情があるし、心がある」
とミラが聴衆に語りかけている。ヴィクラムはミラに向かって微笑んで手を振った。ミラは驚いて、ヴィクラムの近くにやってきた。
「君の夢を見たよ、昨夜。だからまた会いたくなったんだ」
ヴィクラムはミラの瞳に映る自分の姿を見ながら、そっと言った。ミラは微笑んで、ヴィクラムの手を握り返した。彼女の指は細くて冷たくて、それでも温かさを感じさせた。彼らは互いの目を離さなかった。周りにはアンドロイドたちが集まっていたが、2人は気にも留めない。
「私の?」
ミラは優しく微笑んだ。二人は互いの目を離さなかった。ヴィクラムは心の中で自分自身に率直に問いかける。ボクはミラに恋をしているのだろうか?いや、違う。これは恋ではないとヴィクラムは考えた。ミラに自分をそっくり差し出したいというこの衝動は、これは何だろう?恋なのか、いや、性的な欲望なのだろうか?
「坊ちゃん、あなたは14歳という人生の最も初期の段階で、あなたにとって最も相性の良い相手とめぐりあってしまいました!」
と声が聞こえた。その声はスラジの忠実な部下、1815QRだった。彼はずっとヴィクラムとミラの後をつけていたのだ。
 すると、一体の鉛色のアンドロイドがミラの目の前に現れた。
「急げ、ミラ。地上で大変なことになっているんだ。アンドロイドたちが反乱を起こしている」
とミラの腕を引っ張った。彼女はこのアンドロイドの言葉に信じられないという表情をしたが、彼に従った。ヴィクラムも後ろからついて行った。ミラを見捨てるわけにはいかなかい。やがて、彼らはインド塔の地下玄関口に到着した。そこにはスラジが待っていた。すると、その鉛色のアンドロイドはズルっとアンドロイドの仮面を外した。中からシャストリが現れ、ミラは仮面の下の顔に驚愕した。
「あなたは人間だったの?なぜ私を騙したの?」
とシャストリに詰め寄った。スラジはミラの肩に手を置き
「ミラ、君は私のものだ。君は私の妻にそっくりなんだ」
と言いミラを抱きしめ連れて行こうとした。ミラは抵抗したが、スラジの力には敵わなかった。スラジとシャストリはミラをインド塔の頂上階に向かって、連れ去ってしまった。ヴィクラムは慌てて追いかけようとしたが、1815QRが彼の前に立ちはだかった。
「ヴィクラム、止まって。危険だ」
1815QRはヴィクラムに忠告した。ヴィクラムは1815QRを突き飛ばし、
「ミラを助けなくちゃ」
と叫んだ。


永遠に魂はムンバイにある

 ミラはインド塔の頂上階127階のムンバイ指令室に連れて行かれた。するとシャストリが
「ナマステ、剣をかまえたまえ。タラワールヨガジャダエクサン」
と呪文を唱え始めた。
「おお、シャストリ、一体何をするつもりだ」
とスラジは驚く。その時、1815QRの制止を振り切ったヴィクラムが駆けつけた。シャストリは
「ナマステ、怒りは剣よりも深い傷を与える」
と言いながら、ミラを座椅子に座らせた。イスからパイプが現れてガチャンとミラと融合し、天井に引き寄せられて行った。ヴィクラムは
「ミラに何をするんだ!」
とシャストリに向かって怒鳴りつける。
「ふん、愚かな人間どもよ。ミラはもう、前のミラじゃない。インド塔と一体になって、これから、7千7百の世界中の町に爆撃を開始する」
とスラジを睨みながら大声で叫ぶ。ミラの目が真っ赤に光り、彼女は機械的に
「ツルギ、ツルギ」と呟いた。
「ミラー!」
とヴィクラムが叫ぶ中、
「オマエ、ダレ?アッチ、イケ!」
とミラは床にヴィクラムを突き飛ばす。ヴィクラムは再び立ち上がり、ミラを引き離そうとする、なかなか難航する。ミラの目からポロポロ赤い涙が流れた。
「ミラ、ボクを思い出してくれ、ヴィクラムだよ」
と泣きながらヴィクラムは訴える。ヴィクラムはミラを必死に引きはがそうとした。ベリベリベリ。すると、火がミラの背後から吹き出てきた。次の瞬間、ミラの身体の半分が焼けてしまった。
「ワタシはダレ?シラナイ?シッテル?」
とミラが機械的に呟く。とうとうヴィクラムはミラを引き離すことに成功するが、その瞬間、部屋は崩壊し始めた。ガラガラガラと。ミラと座椅子はインド塔の真下に向かって落下した。ヴィクラムが大声で泣き叫んだ。
 夜が深まると、ヴィクラムは学校の友人たちと共にインド塔を背にして、ミラの残された断片を探し始めた。彼らはミラの足、手、胴体、そして不気味に赤く光る目玉を一つずつ拾い上げた。ヴィクラムたちはミラの遺骸を箱に納め、地下道の入口に静かに置いた。やがて、トンネルの奥からアンドロイドたちが列をなして弔問に訪れた。インドタワーの前には、静かな弔問行列ができていた。それは、機械と人間の境界が曖昧になる瞬間を映し出していた。アンドロイドたちが流す涙は銀色で、まるで小さな星々が彼らの頬を滑り落ちるようだった。ヴィクラムはミラの名前を呟いた。
「ミラ...。君を忘れることはない」と。
言葉は風に乗って、どこか遠くへと消えて行った。弔問客が去った後、ヴィクラムは1815QRと3人の友人と共に、ミラを箱ごとガンジス川へと運んだ。彼は川辺に小石を積み上げ、祭壇を作った。そこにミラの箱を置き、バナナ、リンゴ、オレンジを供えた。マリーゴールドやバラの花を添え、線香の煙が静かに立ち上る。地上のアンドロイドたちが次々と集まってきた。彼らは人間と見分けがつかないほどの超人タイプだった。
 ヴィクラムはミラの箱を開け、彼女の唇に残された傷跡のような小さなシミを見つけた。彼はそれに指を触れ、その指を自分の唇に重ねた。それは、彼女との最後のキスだった。ヴィクラムは祭壇の前のランプに火を灯し、
「うううう~」
と小さくしばらく呟きながら、燈明を祭壇から石の方に近づけた。そして、その石にペンで「ミラ」と書いた。ヴィクラムとその場にいた者たちは、ミラの箱をガンジス川に浸して清め、薪に火をつけた。火葬の炎が夜空に昇り、ミラの灰はガンジス川に流された。ヴィクラムは「ミラ」と書かれた石を手に取り、振り返ってインド塔を見上げた。そこにはもう、彼が知っていた世界は存在しなかった。川面を風が吹き抜けていく。あたりはおそろしく静かだった。