こんにちは、美咲です。今日は「創造性」について考えたいと思います。
私のようなフツーの中年女性も未来に向かって創造的に生きたい欲求を抱えていると先日お伝えしたばかりでした。
さて、よく人は「クリエイティブ」であるだとか「創造的」であることが大事と言いますが、そもそも「創造性」とは何なのでしょう。
創造性は”異質な文化や考えのぶつかりあい”から生まれる。
創造的であるには、「努力が何より大切だ。天才は努力の達人だから」だとか、いや「まじめ不要だ」とか、「常識を打ち破れ」とか「ひらめきや着想を持て」とか、「正反対のことを同時に行え」とか「好奇心を持て」とかいろんな考えが今まで述べられて来ています。「創造性」というものが果たして芸術家やクリエイター、作家、学者、起業家、プロデューサー、監督などの専売特許なのか、それともいわゆる名も無き私のような主婦の日常人は「創造的」になれないのかなどと考えてきました。答えをここで出すつもりはないのですけれど、まずはそもそも「創造」とはなにかの定義づけをここで試みます。まずは先賢の考えを見ていきましょう。
心理学者のフィリップ・ヴァーノンによれば、
創造性とは、「考えの新奇な組み合わせ、ないしは異常な結合である。その組み合わせはまたは結合は、社会的ないしは露天的な価値をもつか、または他者に対して感情的な衝撃を与えるものでなければならない」と定義する
”新奇な考えの組み合わせ、ないしは異常な結合”!これこそ、今のわたしたち日本人に欠けている要素です。一般的に日本人は同質性を好みます。同質性は高度成長期には強みとなって、日本は大きく発展しました。けれど、多様性を認めず、類友で群れをなす性質は、他の国の人たちに、日本人は模倣には長けていても、クリエイティブではないという印象を与えがちでした。それが悪いというわけではないけれど、そこからは新しい発想は生まれてこないです。
では、”新奇な考えの組み合わせ、ないしは異常な結合”ってなんだろうと身近な具体例を考えてみました。ひとつだけ、今ひらめいたのは、妊娠、出産です。精子と卵子は異質なモノですし、それが組み合わさって、赤ちゃんが生まれる!この生命の不思議。これこそ創造的じゃないか!今は少子化だし、社会的な価値はあるよね。
人の役に立つと認められたときに、”創造的”とよぶらしい
これまで結びつきがあるとは思われなかったことを結ぶこと。もしくは、新しい考えやことがらを創りだすこと。これらのいとなみが、社会的に役に立つと人に認められたときに”創造的とよぶ”とフィリップ・ヴァーノン(Vernon, P.E..)は考えたそうです。*1
つまり、人の役に立ってなんぼや!ってことですね。まぁ、たとえばアートなんてどう人の役にたっているか判断の基準がまちまちですから、それってどうなのよ?とフィリップ・ヴァーノンに突っ込みたいところですが、彼、もうこの世にいませんから、突っ込めません、私。でも独りよがりではダメよということですね。
<創造性の過程=ひらめき x 論理>
どうやら”創造性”は心理学者のお得意の分野のようです。精神分析学者のシルヴァノ・アリエティは、シェイクスピア、ベートーヴェン、ポアンカレ、アインシュタインなどの西欧の独創的な仕事をした人の事例を分析しました。これらの芸術家や科学者の創造性の筋道には2組の異質な概念の組み合わせがあるとアリエティは言います。
そのうちの一つは "endo-cept"。鶴見和子は”内念”と訳していましたが、わかりやすく言うと、ひらめきのようなものですね。なんだかモヤモヤと内側から湧き上がってくる想いです。もう一つは "Paleo-logic"。一言でいうと”論理”。*2
ちなみに、このシルヴァノ・アリエティはアメリカの心理学会長をしたくらい著名な学者で、"Creativity"という本を書いていて、鶴見和子が本を開いたら孔雀明王図の絵が出ていたのでいい本に違いないと思い、買ってしまったのだそうです。私は本物は見たことはないのですが、京都のお寺にあるそうですよ。これです↓
仁和寺について 文化財(絵画・襖絵)|世界遺産 総本山 仁和寺
違うものが一体となって、人に感動を与える、それがCreativity
ご覧になってわかりますように、孔雀の上に仏様が座ってらっしゃいます。仏様の前世は孔雀であったということが伝説として言われています。その絵を見ていると、孔雀か仏様か、仏様か孔雀かわからないくらいに仏様と孔雀が渾然一体となっています。けれど、仏陀は人間で、孔雀は鳥類ですからカテゴリーは違う。違うものが一体となって、人に感動を与える、それがCreativityなんだとアリエティの本に出てきたので、鶴見和子先生は思わず買ったそうなのですが、それは最初だけでそれ以降、仏様の話しは一切でてこない。結局、ダンテとかゲーテとかシェイクスピアとかそんな西欧の芸術家や科学者の話しばかりだったので、彼女は南方熊楠や柳田国男の分析をしよう!と思ったのだそうです(笑)。
鶴見和子先生は、社会学者です。津田塾大を卒業し、プリンストン大学で社会学で博士号を取られた方で、あの鶴見俊輔さんのお姉さまです。私のもっとも尊敬する女性の学者の一人です。社会学者が創造性について探求する。いや、梅原猛さんのような哲学者もされているので、心理学者の専売特許ではなかったのかもしれないですね。
鶴見和子先生(写真引用サイト:
鶴見和子の写真、名言、年表、子孫を徹底紹介 | 昭和ガイド)
はぁー(汗)。やはり、ブログの一投稿では、「創造性」について述べ切れるものではないと認識しました。このテーマだけで一冊の本書けるんじゃないの?
今日のまとめです。創造性とは、異質なモノの組み合わせによって生まれる、そしてその組み合わせが人の役に立つことが大切。
私としては、大いに納得できるものの、まだまだ深く探求できるのではないかと考えています。時間かかりますよね、これは。たとえば、努力が創造を産むのか、怠けが創造を産むのか、これに関しても、面白い文献があります。怠けが創造を生む場合があると河合隼雄先生は述べておられます。これもいずれ、ゆっくりお話したいと思います。
とにかく、今日わかったのは、似た者同士で集まっていては新しいものは生まれないよ!ということですね。これだけはハッキリしました。
では、次回は南方熊楠の創造性の魅力について書いてみたいと思います。なぜ、熊楠に着目したのかというと、民俗学者だからです。柳田もです。小さき民、名も無き民の研究をされてきた方々はフツーの人こそ創造的に生きていると話してらっしゃいましたから、特に熊楠の創造性にフォーカスしてみたいと思います。
では、またねー♪